「昭和の日」に考えた天皇のこと。

著者名シナプス編集部
「昭和の日」に考えた天皇のこと。

日本では、4月末から5月初めにかけての大型連休をゴールデンウィークと呼ぶが、4月29日が何の日であるかを明確に意識して過ごした人は少ないのではないだろうか。

4月29日は「昭和の日」。言うまでもなく昭和天皇誕生日である。私はこの一年間ほど、オンラインサロン「猪瀬直樹の『近現代を読む』」に参加させていただく中で、天皇に関わるさまざまなことを学び、猪瀬自身に質問をしたり議論する機会を得た。

今回は、私がそれらの体験を踏まえて巡らせた思考の軌跡をここに書き記したい。もし、大型連休を特に予定なく過ごすというような奇特な方がいたならば、「天皇」について私と一緒に考えてみよう。

なぜいま天皇について考えるのか

2016年8月8日、今上天皇は「お気持ち表明」をなされた。

天皇が高齢化やご病気によって「国事行為や、象徴としての行為」を十分に務められないいことを懸念した陛下の言葉だ。務めの負担を軽減するのではなく「生前退位」を行い践祚(皇嗣が皇位を継承すること、皇太子が天皇の位に就く)することが望ましいのではないか、という趣旨の「お気持ち」は国民にとてもよく理解され、受け入れられた。

NHKの世論調査には、91.3%が「お気持ち表明」を「よかったと思う」と答え、84.4%が「生前退位」を「認めたほうがよい」と回答したとされる。

「週刊ダイヤモンド」(2016年9/17号)の「特集 日本人なら知っておきたい皇室」でも取り上げられたように「日本人は皇室が大好き」である。NHKが昭和48年(1973年)より5年おきに行っている「現代日本人の意識構造」という調査によれば同年、天皇陛下(昭和天皇)に対して「尊敬の念を持っている」または「好感を持っている」国民がそれぞれ33.3%と20.3%だったのに対して、平成25年(2013年)の天皇陛下(今上天皇)に対する想いは、前者が34.2%、後者が35.3%となった。また昭和48年には天皇に「無関心」だと答えた国民は46.5%であったが、平成25年には28.4%まで激減していると同誌は紹介している。

現在の天皇皇后両陛下は国内で災害が起こるたびに被災地をご訪問され、また太平洋戦争の激戦地への「慰霊の旅」を続けている。国民の「安らかな日々」への想いと、平和を祈念する強いご意志が、日本人(のみならず諸外国の人々)の天皇陛下に対する尊敬の念を形成していることは間違いない。しかしこれらの今上天皇のお務めは陛下ひとりの意志によってなされているわけではない。父である昭和天皇の歩みの延長線上を陛下は辿られているのではないか。私たちは昭和天皇の「国事行為や、象徴としての行為」を振り返りつつ、彼の苦悩について思いを馳せる必要がある。それがひいては現在の天皇制について考えることになるからだ。

『天皇の影法師』や『ミカドの肖像』といった天皇とナショナリズムについての著作が多い作家・猪瀬直樹は以前インタビューで次のように語っていた。

当時は(筆者注:『ミカドの肖像』執筆時)-まあ今も変わらないのかもしれないけれど-みんな「ナショナリズム=排外主義」だと勘違いしていたんだよね。だけど、ナショナリズムってのは国民国家の基本なんだ。出典: 挑戦前夜〜作家・猪瀬直樹〜

「アメリカファースト」や「ブレクジット」が取り沙汰される2017年の国際政治環境は、「国民国家」や「ナショナリズム」という概念の再考を要請していると言える。日本人が自らのナショナリズムを正確に捉えるとき、天皇の問題は避けては通れない。「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であるところの天皇は「日本という国、概念が成立するためのシンボルとして機能」しているからだ。

「お気持ち表明」以来はじめての「昭和の日」を迎えるにあたって、現在の天皇が国民に自然に受け入れられ愛されるようになったルーツを、昭和天皇、あるいはその前の大正天皇、明治天皇を見ていくことで探ってみよう。そうすることで、私たちは陛下が「お気持ち表明」をなされた意味をより深く理解できるはずだ。

父・昭和天皇の延長線上にいる今上天皇

最初に現在の天皇制が、明治維新以降に創られた伝統(原武史『昭和天皇』)であることを確認しておきたい。黒船来航から開国、大日本帝国成立に至る過程で天皇は「『万世一系』という虚構」(猪瀬直樹天皇の影法師』)を担わされ日本のアイデンティティ形成に利用された。神武天皇以来2600年の皇統・神話がでっち上げられたのだ。

明治からの「元号」は、ひとりの「人間」の死によって時代が切り替わる非合理的な制度だ。それより前の時代は、天変地異など不吉なことが起こったときの仕切り直しとして元号は変わった。国民が「現人神」である天皇を信じる一方で、官僚機構の内部にいた森鴎外のような人は「万世一系の虚構」と「近代合理主義」のジレンマに引き裂かれながら、近代日本のアイデンティティを模索していた。近代合理主義の黎明期において、元号のあり方を徹底的に考えた森鴎外については『天皇の影法師』に詳しく記されている。

天皇の影法師 (中公文庫)

鴎外が懊悩しているあいだ、その「虚構」を一身に担わされた明治天皇自身はといえば、宮中祭祀をそれほど大切にはしていなかったようである。原武史は『昭和天皇』のなかで次のように書いていた。

明治天皇が宮中祭祀そのものを、「創られた伝統」と見なしていたことが考えられる。祭祀を「国体」の根幹と見なす後期水戸学の影響のもとに宮中祭祀が確立されるのは、前述のように明治になってからであった。京都に強い郷愁を抱いていた明治天皇は、自らの在位中に東京で宮中祭祀という「にせの伝統」が創られてゆくことに対して、どこかしら冷めた感情を持っていたように思われる。出典: 『昭和天皇』P.25

日清戦争以降の明治天皇は宮中祭祀を欠席することが増え、晩年はほぼ完全に「大拝」、つまり代役に祭祀を任せていた。

同じように大正天皇も体調を崩す以前から祭祀に消極的であった。漢詩を愛し、葉山の御用邸に滞在することの多かった大正天皇は気さくで自由主義な性格であったことに加え、父である明治天皇の振舞いを受けて、宮中祭祀を重視しなかった。

ところが昭和天皇は皇太子時代から晩年、昭和61年(1986年)の新嘗祭に至るまで熱心に宮中祭祀に取り組まれた。また公務にも積極的であった。それは大正天皇の体調悪化に伴って「神がかり」的になり宮中祭祀に熱心だった貞明皇太后(昭和天皇の母)の影響であり、先の敗戦への悔恨ゆえだと考えられている。

「人間宣言」によって「現人神」であることをやめ「象徴天皇」として再スタートを切らねばならなかった昭和天皇の苦悩ははかりしれない。『天皇の影法師』によれば、猪瀬直樹は、皇室は戦後天皇の戦争責任という問題も起こったが皇太子妃を国民のなかから選ぶという形でミッチー・ブームを起こしたり、公式記者会見でチャーミングに振る舞ったりして「開かれた皇室」を演出していたと記されている。

しかし冒頭に挙げた数字が物語るように、今上天皇と比べたとき、昭和天皇は国民に広く受け入れられているとは言いがたかったようだ。

天皇自身は国民との間の親愛の情を求めたが、為政者も国民も天皇を畏怖して距離を置き、天皇は孤独の中にあった。-「週刊ダイヤモンド2016/09/17」小田部雄次P.37

宮中の奥で熱心に祭祀に取り組まれながら、戦前とは異なり皇居の外にも出ていった昭和天皇の歩みは、長い日本の歴史おいてはじめての事態であった。昭和天皇が築いたこれらの土台がなければ、今上天皇が象徴天皇をまっとうすることはできなかったであろう。「天皇制」といえどもそのシステムを担うのは人間であり、彼らも自らの父や母の歩みの延長線上にいるのだ。

「お気持ち表明」の意味

さて、その天皇制という歴史のなかにいる今上天皇の「お気持ち表明」を我々はどう考えればいいのだろうか。天皇陛下が生前退位を望んでいるのは、高齢であることに加え、2度の手術を経た自身の健康状態では宮中祭祀や「慰霊の旅」などを長く続けるのは難しいと考えているからだろう。天皇は一身にその象徴としての責任を果たさなくてはならない。それは昭和天皇から受け継いだ意志である。

宮中祭祀は冷暖房のない古い建築物の中や屋外で、重い和装に身を包んで長時間に渡って行われる過酷なものだ。たとえば元旦には朝5時から神嘉殿という正殿の庭で儀式を行う。真冬の早朝から祭祀を行い、政治家や宮内庁職員たちと新年の挨拶を行った後、午後からは各国の大使や要人たちと会見を行う。天皇陛下に正月休みはないのだ。

このような儀式は一年のあいだに何度もある。公務の数も半端ではない。産経新聞記者の山本雅人によれば、「年間(平成16年、2004年)119日の土・日曜、祝日のうち、代休が取れず、陛下が休日出勤された日が計30日」だという。

激務であるからどうこうと考えるのは些か早計ではあるが、天皇陛下が象徴としての責任を一身に果たし続けられるかどうかというのは重要な問題だ。その点について、猪瀬直樹は「天皇という中心があったからこそ、(日本は)なんとか国家として成立した」と語る。

国家というのは一つの生き物といえますが、その中心、へその部分に天皇がいる。(中略)生き物である国家にとって必要な儀式は総理大臣には無理でしょう。天皇、皇室だからこそ(日本には)聖なる空間が生まれる。-「週刊ダイヤモンド」「合理性だけでは語れない日本人にとっての『ミカド』」P.40:41

天皇陛下がいるから私たち日本人は自らのアイデンティティを保っていられる。その事実と向かい合ったときはじめて私たちは、私たち日本人のアイデンティティを守るため孤独に激務にあたりながらも、その責任をより良く果たし、次世代に繋いでいくために苦悩している天皇に寄り添う必要性を感じることができるだろう。

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