拝啓、「自分」へ。ぼちぼちそこ、よいでしょうか ー本当の立ち位置の誤解

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拝啓、「自分」へ。ぼちぼちそこ、よいでしょうか ー本当の立ち位置の誤解

拝啓、「自分」へ。

ぼちぼち、お席を譲っていただく
時間がきたようです。

「どうにかしないと」と
ハンドルを握りしめて見ているその視界。

実を言えばそこは
あなたにとってあまりに狭すぎました。


「私」には願望を叶える力もなければ
叶えなくする力もない


普段よく、私はこう言っているんですが、

これは「私はちっぽけな存在です」とか
「自由意志は持てない存在です」とか

そういうことでは全くないんです。


むしろ真逆です。

ただ、それば「思考(エゴ)の視点」で言うと、という話。


■ 「自作自演」ってこのこと

私達は、日々「思考」をしますね。

思考は「エゴ」として
その機能により目ざとく「不足」を
見つけ出しては単なる現象を「大変やー!問題やー!」と問題化して、


「無い!欠けてる!」と
騒ぎ立てては感情を左右し、

その結果「私」の向きは
「不足」を向き、
体験することは「不足」になる。


「不足」は思考(エゴ)による幻想。

体験は向きで変わる。
だから、向きを変えればいい。


でも、そう聞いた時にきっと、
こんな声が聞こえること、
あると思うんです。


うううう、、でも「不足」が消えない、、

わかってるけど向きが変えられない・・・・

エゴなんて消すことできひんやん!


そんな時、恐らくこの個体↓のことを「自分」だと
思ってるんじゃないかなと思うんです。




この個体である「自分」が何かを見聞きして、

何らかの思考(エゴ)が働き、
単なる現象を「こうだ」と判断する。


例えば、


お財布に入っている1000円札をみて、

「うぇ!お金ないやん!」と思考し、

それに伴い「お金なくて不安や・・・」と感情が自動的に重く辛いものに変換される。


その結果、この個体からの目線で現実をこんなふうに捉えているわけです。


「お金がない私」

「不安な私」

「今1000円しかないってことは
次お給料が入るまでに
かなり節約しないといけない状況の私」

「今の年齢からじゃ転職なんてもってのほか」

「ああ、私はなんてしょぼい人間なんだろう・・」


あ〜あー、、
お金さえあれば!
仕事さえこれじゃなければ!!
私さえもっと能力があれば!!!
全部解決するのにー!!!



そうそう!せやねん!
となっているすべての方にお伝えしたい。
これが、「自作自演」であると言われる状態です。


・・・それ、座ってる席違います!!


■ 「自分」はそれじゃない



本当の「自分」は、こっち↓です!!






自分の本体はこの↑、ピンク色の方!

つまり、今「自分」だと思ってる人は、
自分という本体の自分の一部でしかない、

ということ。

このピンク色の部分は、

108さんで言うところの「別の領域」、

エイブラハムの言うところの
「インナービーイング」、

よく言われている「ハイヤーセルフ」「創造主」、

藤本さきこさんなどのおっしゃる
「宇宙」「魂目線」「コントローラーを握る側」、

ネドじゅんさんのおっしゃる「本体さん」


のことです。


このピンクの部分が「自分の本体」です。

これこそが
現実を創造している部分、


「全てある」部分で自
分にとっての充足が
底なしに存在している場所なんですね。

このピンクの立ち位置から見たら、
全てもう叶っています。


ところが、エゴというのは、

「自分の五感で確認できるものしか信じません!!」という性質であるがゆえ、こう言うんです。


ワシが「自分」や!!
おおん?!それ以外にあるわけないやろがい!


つまり、その存在を信頼できない。


■ 「自愛」や「メソッド」の目的はこの1つ


「充足の向きを向く」というのは、
上の図で言うピンクの部分を向く、
そこと一致しとく、ということです。


エイブラハムが言う、

「水の中でコルクを握ってるその手を緩めたらコルクは勝手に浮かび上がる」という例は


まさにこのこと。


でも、エゴは一切信頼しないし「自分こそ自分」の座を譲らないでしょう?

ちゃうねん!!!
もうあるねん!!だからあんたがそこの席をどいて
何かするのやめたらいいだけの話やねん!!


、というところなのですが、席を譲らず必死に

「どうやったら叶うんや!」
「達成するにはどうしたらいいんや!」

ともがく。


だから、エゴによる
その「もがき」を鎮めるために、
自愛、メソッドなどが存在するわけです。

例えば恋愛の神
様がいるという神社で
手を合わせたら、


「よし、これだけ綿密に心の中でお願いごとをして手を合わせたんやから、これで叶うだろう」


と安心して、何かする(=もがく)のをやめる。


つまり、この↑太字部分が欲しくて私たちはあれこれのメソッドを行おうとします。



感謝ワークもそう、
エゴを黙らせるために何か唱えるのもそう、
アファメーションも、お守りを持つのも、
満月の光にノート当てて燃やすのもそう。


エゴはそれで

「よっしゃ、やることやった!
もう大丈夫、叶うはずや!」となりますが、、、、とんでもない。


本体の目線で見るとただ、

何かする(=もがく)のをやめさせるため、
にやっているに過ぎないものです笑。


ちなみに、「101号室」の
不足の解体作業室で行われている
「不足の解体」もそう(笑)。←身も蓋もない笑


本来、解体しなくても
「あ、これな、この封筒いらんやつやわ」

って言って中身も見ずにポーイってしていいやつですので笑。



■ 個体である「自分」の機能を知ってもまだそこに座る?



この、ピンクの部分、
つまり本体を信頼(※)できると、
そこで創られた既にあるものが見えてくる、ということ。



※信頼するというのは、
「どうせ体験する、既にある」からもう安心して今を楽しんどく、という感じ。
そっちの向きを向く、とも同じですね。


もう一度言いますが、私達の本体はこっちです↓
全てある場所。





「これこそ自分」だと思っていたこの「個体である自分」という存在↓について、その機能や性質をもう少し見ていきますね。




【装備されている機能/性質】
生命体として生きることを目的として、ざっくりこういう機能、性質があります。

・状況を推測して判断すること

・不足を見つけて現状維持を使用とすること



【特徴】
・五感で知覚できるものしか知覚できない

・「無い」からストーリーを始める

・願いを叶える力も無ければ、叶えなくさせる力もないけど気付いていない

・自分が何とか対処しないと
「無い」を埋めることができないと必死
=つまり、「願望」を握ったまま離さない



■ 結局やるのはこれだけでOK

なので、私達がやるべきことはたった一つ。

本体に「任せる」こと。
(信頼する、も同じ)


なぜなら、もう「既にある」のに
それが見えないのは、

「私こそ自分!」と
思っているこの個体が、
自身の思考で
生み出した「不足」を見たまま
不足の方を向いて
見えなくなっているだけだから。


よく言われる「感情ナビ」というのは言い換えると、


・快の感情:それ、本体と一致してんで!(=別の領域にいるで!)

・不快の感情:それ、妄想見てんで!(=思考(エゴ)と一体化してるで!)

ということ。


■ もう、既にあることを見破る

「私」はもう「既にある」の中にいるんです。

だから、願望を手放す必要すら本当はない。

手放すもへったくれも、
もう、あんねん

なんです。


例えるなら友達に、

お風呂入りたい!
肩まで浸かってな、
あったかくてな、、
そんなお風呂に
どうにかして入りたいねん!!


って言ったらその友達に、


「いや、よく見て?あんたもう入ってるで?」


って言われた、みたいな感じです笑。


生命体として生きるための頭良すぎる機能が
暴走してしまって知覚を狂わせて、それを見えなくしているだけ。


「願望を願望として捉えなくなる」というのは、
それを思い出した時に起こる状態。

現象を見る時、
本体からの視点で
見る意識をしてみてください。

その「本体」の視点で見ると、

「うわ、不足や」と感じる出来事があった場合、

「無視しないと!」も
「いやいや、いい気分でいないと!」も無く、


こんな感じで見破ることができます。


「・・・・と見せかけて、
これ実は充足なんやろ?」


って。

どなたかのヒントになれば幸いです。

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