医療の闇Ⅸ〜自分の人生の終わりも自分では選べない〜

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医療の闇Ⅸ〜自分の人生の終わりも自分では選べない〜
9章 
死ぬ気があれば、自由に生きられる。
マハトマ・ガンディー
 
日本では、安楽死尊厳死が法的に認められていません。その議論すら、なかなか進まない中で、安楽死を許容する動きが世界で加速しているのです。コロナ禍のなかで欧州ではスペイン、ポルトガルで安楽死法が次々と合法化ないし可決されました。


 2002年、世界で最初に安楽死法を立法したのはオランダは、2020年にコロナ禍によりおよそ1万5000人が命を落とす中、安楽死の数は19年度より577件増え、6938件となっています。

二番目に安楽死法を成立させたベルギーは減少しましたが、これは、一つにはコロナ大流行のため医療が逼迫し、患者の受け入れが手控えられたこと、もう一つには医師が告発されるケースが出てきたため医師たちが安楽死の実施に慎重になったことが原因とされています。
「死の自己決定」ということについて、日本ではなかなか踏み込んだ議論がなされていない。周囲との人間関係を重視して生き方を決める、日本的な社会風土においては、死について自立した判断を個人に委ねる土壌が不十分だといえるかもしれないです。
日本では、いったん入院すると、死ぬことが難しくなります。治らないとわかっている患者に、さまざまなチューブをつなぎ、なんとか死なないよう管理する。「もうやめて。静かに死なせてくれ」と本人が願っても、法的に医者は一度始めた治療をやめることができません。ましてや、薬物を投与して人為的に死を迎えさせることは、たとえ本人が望んだことであっても、違法行為です。

耐えがたい苦痛を心身に強いられても、そこを乗り越えた先に再び健康的な生活をとり戻せるのならば、まだ耐える意味もあるのかもしれません。しかし、その希望がゼロに等しくとも、死にたいのに死ねる権利が、われわれ日本人にはないのです。

この世に生まれてくる権利もなければ、安楽死する権利もない。本人は生きる目的をすでに失っている。


それでも治療を続けるのは、いったいだれのためでしょうか。

 私自身は、死に面する病になったら、入院はしないと決めています。自分の命の自己決定をできなくなるのは、ぼく自身の死生観に反するからです。自分の命が、誰かの金もうけの材料にされるのも困ります。「なんの治療もしないでほしい」と頼んでも、「それは無理です」と断られるのもわかっています。だからこそ、死に直面した際に入院する意味が私にはないのです。

 こうした死に対する話は、元気なときに家族としておくことです。ひとたび入院してしまったら、あとは医療の流れに乗るしかなくなってしまうからです。
 ところが日本人は、死について家族と話しあわなくなっています。

おじいちゃんもおばあちゃんも、お父さんもお母さんも、現在はみんな病院で死んでいく。だから、病院で死ぬのが当たり前と思い込んでしまっているのです。

 また、核家族化の影響も大きいでしょう。近くで死を迎える経験がないと、死を自分のこととして向きあえなくなります。現在、厚生労働省は、『人生の最終段階における医療については、医療従事者から患者・家族に適切な情報の提供と説明がなされた上で、患者本人による意思決定を基本として行われることが重要』として、アドバンスド・ケア・プランニング(A C P)の取り組みを推進しているのです。ACPは2018年12月より「人生会議」という愛称で、11月30日を毎年人生会議の日として、各自治体により啓蒙されていますが、浸透はまだまだと言ってよいでしょう。

ACPとは、人生の最終段階の医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと事前に繰り返し話し合うプロセスを指します。
こうした方法で、日頃から、本人が家族や医療スタッフと議論を深めておくことは大切なことです。しかし、ここでも最終的には『自己決定』と自律の間のずれとどう向き合うかという課題は残ります。
ACPによってくみ上げられた『本人の意志』は、最終的には書類として残さなければなりません。そうすると、作った書類に縛られることになり、『書類がある以上は事情が変わっても変更不可能です』『書いていないことはできません』となってしまうのです」

事前に自らの死をイメージし、信頼できる家族や医師と人生の最終段階について話し合うことは、素晴らしいことです。

しかし、いざ死期を目前にしたとき、事前の“自己決定”が、最新の意志の変化や事情にそぐわなくなって、可能性もあるわけです。一概に生前に決めるというのは困難なのです。ライフステージに分けて何度も見直し、家族とともに最期の迎え方を決定していくことが重要でしょう。
日本では、『安楽死法』という形で法律を作るのは非常に敷居が高く、あえて優しい感じのACPのような取り組みが好まれています。
 日本人も、70年ほど前までは死が身近にありました。戦時中、身近な人が次々に死んでいくなか、自分はどうやって生きていくのか、真剣に考えていたはずです。
それが、今では死ぬ覚悟を持たない人が多くなっている。それを「時代だから」と片付ける人もいます。しかし、死ぬ覚悟のない人に、どうしてよりよく生きる覚悟ができるでしょうか。生きる覚悟とは、死ぬ覚悟があってこそ確固としたものになるはずです。

 安楽死制度の構築は、日本の医療のためにも必要です。現在は、本人が望まない医療に甚大な費用も労力もつぎ込まれている。これをなくせれば、医療のサステナビリティも前進する。しかし、死生観のない人の間で、議論が進むはずがないのも事実です。

 自由に死ぬ権利がないならば、せめて一人一人が最後までよりよく生きていくための予防医療を広げていきませんか。最後の最後までQOLを守って生きるには、自分の身は自分で守るという覚悟が必要です。その枠組みづくりを、国主導で行うべきです。

でも、それを国任せにしては、まったく進まないのは目に見えています。そこで私は、予防医療研究協会を多くの医者とともに立ち上げもました。現在、100人以上の医療従事者が名を連ねています。
 一人一人が責任をもって、自分の健康を築き、病気にならないための知識を積み上げていく。決して他人まかせにも医療まかせにもしない。

それこそが予防の基本で、持続可能な医療を築くうえで欠かせない考え方です。
この考え方をみなで共有できたとき、日本の医療の未来が守られることでしょう。


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