「環境のせいにするな」は誰が言い出したのか、
生きていれば一度は聴いたことがある言葉だと思う。
確かに、自分のことを一切省みず
環境のせいだけにするのは良くない。
きっとこれは自分の非を認めず、
環境や周りのせいだけにする人への言葉なのだと思う。
そういう人には、
ある程度高い温度感で伝えないと理解してもらえないことが多い。
だから強めの言葉で言うのだと理解している。
ただ、本当に環境のせいで辛い思いをしている人にも
同じ温度で届くことがある。
「自分は環境のせいにしていないだろうか。」
「上手くいかないのは努力が足りないからかもしれない。」
自らを省みることができる人は
普段から自分で自分にそう問いかけている。
他人から「環境のせいにするな」と言われると
「やっぱりそうだよな…」と間違った答え合わせをしてしまい
不利な環境や状況でも頑張り続けてしまうこともある。
自分にとって不利な条件や環境なら、環境が原因で辛い可能性が高い。
その場所で頑張るよりも、有利な環境へと変える方が賢い。
頭ではそう分かっていても
言葉の力に飲み込まれてしまう人は多いと思う。
…
私は人からのアドバイスを話半分で聴くことがある。
逆に自分の話を話半分に聴いてもらって良いとも思っている。
最低なヤツだと思うかもしれないけれど
これには明確な理由がある。
その人にとっての正解が必ずしも
自分にとっての正解ではないからだ。
この心構えは
情報をフラットに処理することにも繋がっていく。
みんなが言っているから正しいのだろうとか
好きな人がこう言うならそうしようとか
大多数の意見とか、誰が言っているのか、という
感情によるフィルターは大切なものを見えにくくする。
もちろん人間なので
そういうフィルターを完全に無くすことは難しいのかもしれない。
でも話半分で聴くことによって
客観視しやすくなったり
フラットに近い状態には近づく。
その上で意見を取り入れるも良し、ということなのだと思う。
結局は自分がそのとき正解だと判断したことが
自分の人生の過程としては正しいのだ。
つまり、人の意見は
あくまでひとつのアイデアだという考え方だ。
…
環境のせいにするな、と言われたときに
それは自分にも適応されるアドバイスなのかを判断する必要がある。
発言主にとっては正しい意見なのかもしれない。
では自分にとってはどうだろう?
もし自分にとって正しいのであればそのまま受け取れば良い。
自分には関係のない話なのであれば受け取らなくて良い。
適当に喋っている人だって居る。
だからアドバイスのような感じで言われたことも
全く自分には当てはまらない内容だったりもする。
もちろんカジュアルな場面で
常に頭を使って的確な意見を言い続ける必要は無いと思っている。
だからこそ聴く側・受け取る側が
情報(相手の話・意見)の取捨選択をすることが大切だと思う。
全部を大切な情報として受け取ったり
言葉を真に受ける必要は無い。
言葉の力に飲み込まれてしまって
間違った答え合わせをしたまま苦しんでいる人は
一度シンプルな自分の気持ちを確かめてみてほしい。
あくまで人の意見はアイデアだ。
自分の心はなんて言っているだろう。
それが例え尊敬する人の意見に背くものだったとしても
自分さえ納得していればそれを選べば良い。
何も怖がる必要はない。
本当にあなたにとって大切な人なら
あなたが心から良いと思う選択を応援してくれるはずだから。
2024.02.14