「期待」は観測できない――しかし可視化はできる
一般に、市場参加者の「期待」を直接観測することはできません。しかし、**累積リスクプレミアム(Cumulative Risk Premium: CRP)**を用いれば、投資家の期待の変化を時系列で視覚化することが可能になります。
具体的には、ファクター・エクスポージャーと期待リスクプレミアムを推定し、その累積値のトレンドを追跡します。たとえば鉱工業生産指数の変化に対する累積リスクプレミアムは、期待リスクプレミアムのトレンドの代理指標として機能します。このグラフを描くことで、ある時期に投資家の期待がどのように変化したかを視覚的に確認できるのです。
日本のバブル崩壊――「始まり」と「認識」のズレ
日本のバブル崩壊は1989年に始まったとされます。しかし、日本社会がバブル崩壊を**現実の恐怖として認識し始めたのは1995年頃**からです。
このことを確認する方法の一つが**テキストマイニング**です。日経新聞の記事を対象に「バブル崩壊」という単語の出現数を時系列データとして抽出すると、集合的な恐怖・認識の形成過程を定量的に追跡できます。
CRPの累積グラフを見ると、そうした時期の株式市場の投資家の期待の変化をはっきりと確認することができます。累積リスクプレミアムのグラフとテキストマイニングの結果を重ね合わせると、マクロ経済指標だけでは捉えきれない**市場心理の転換点**が浮かび上がるのです。
応用:米国市場の期待変化を同じ手法で検証する
現在の米国における株価高・ドル高・金価格高騰については様々な説明がなされています。ある米国の経済学者は、その主因が**米国の経済成長率**にあると指摘しています。
このことを確認するアプローチの一つは、同じ累積リスクプレミアムの手法を米国データに適用し、米国株式市場における投資家の期待変化を可視化することです。分析フレームワーク自体は汎用的ですから、対応するデータを入力すれば、異なる国・異なる時代の投資家期待を同一の尺度で比較可能になります。
R + GPTが変える分析の民主化
私が実感しているのは、Rのパッケージソフトウェアと生成AI(GPT等)を組み合わせれば、データさえあれば解きたい問題の解法は容易に手に入り、実行可能だということです。GPTは独学におけるメンターやチューターとして利用できます(私たち教員はGPTを学生として利用しています)。
しかし、ここに決定的な分岐点があります。
**計算結果を得ることは容易になった。しかし、結果を正しく解釈するためには「訓練」が必要です。**
ツールが民主化されたことで、「計算する力」と「解釈する力」の乖離が顕在化しています。計算はソフトウェアが行いますが、その結果が何を意味するのか――ファクター・エクスポージャーの符号が示す経済的含意、累積リスクプレミアムの屈折点が示す市場心理の転換――を読み解く能力は、データと理論の往復運動によってのみ鍛えられるのです。
川口有一郎