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深淵の森-天城連山- #1

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深淵の森-天城連山- #1

2018年から「天城山からの手紙」を連載し、およそ1年半で筆を下ろした。

それから、写真集「深淵の森」を出版した。

実は、この時、

私の中では一つの区切りがついていて

”天城”という存在が重く苦しい存在となっていた。

その間に、天城の森は、少しばかり人が増えたみたいだ。

多少は私の天城も影響はしているだろうが、

嬉しいのと寂しいのと入り混じった感情となってしまった。


いつまでこの森を撮るのだろう?


ずっとこの疑問は頭の隅っこで私を刺激してくる。

撮るも撮らないも私の自由・・・・ではないことは分かっている。

だって、今まで森に、導かれる様に歩かされ、

撮るのをやめたくても森に引き戻されて・・・・。

私は”もういいよ”と言われるまでやめれないんだろうと思って、

だから天城に任せるしかない。


私の環境も変わった そして、森からの声も少しづつ聞こえなくなって・・


環境も少し変わり以前ほど好き勝手に撮影に行けなくなってしまった。

でも、私の中ではなんの焦りもないし成すがままと腹に決めている。

2018年から要所では天城に入る。

しかし、きっとあの場所は人が沢山くるだろうと感じれば、そこには行きたくない。

ずっと、自分だけの時間と出会いを求めて来たからこそ、沁みつく様にその感情は無くならない。

別に、かっこつけてるわけではなくて、みんなに撮ってもらえるなら私が撮らなくてもいいだろうと思うわけだ。

その内、だれも見向きもしなくなったら、私が行って話せばいい。

そんな数年を掛けて、いよいよどうしようかと思っていた矢先・・・

いや、今これを書いている時点のタイムリーな出来事で

天城をやめることはできないだろうな・・という直感というか現実が見えて来た。


だから、今、こうやってまた筆を持つことにしたのだ。

前身となる連載記事はこちら 


おそらくこれが第二章となるだろう。なぜ第一章と二章と分けたのか?これには大きな理由がある。

それは、森に対してのスタンスの違いなのだ。

詳しくはサロン内のコラム「私が写真家になるためにやった事」で紹介します。


第二章の始まりは手探りから始まった


前置きが長くなったが、

2022年10月、少し照れながら久しぶりに向かった天城の話からする。


私が良くやる事なのだが、

天城という存在と対等でいなければいけないという考えがある。

それは、申し訳ないと思う事をしたならば、

その詫びをして対等にするという事だ。

例えば、しばらく足を向けずにいたならば、

久々の天城に理想の光景を求めて行ってたらバランスが崩れる。

だから、そんな時は、敢えてつらい環境の中、

ごめんねと率先して向かうのだ。


冷たい雨の日は誰だって嫌だろう?


この日は、冷たい雨が降るから、

罪滅ぼしに真っ暗な道で雨に打たれながらを選んだ。

天気は、回復していきそうな予報だったが、この気温で雨は嫌だ。

この時すでに、自分の写真に対しての展望を悩み、大きなスランプの最中。

もちろん書いている今もスランプだ。


天城という存在を、今まで通りに撮影していてもダメだろうと思うが、

だからと言ってどうやって撮っていったらいいのか?と解決もしていない。

しかも、手探りの先にさえもまだ掴んでいるものはなくて、本当に深い悩みの渦中にいる。

今撮っている写真が一体どんな意味となり、このままでいいのだろうか?

急にPCにある今までの写真を、全部消したくなるそんな衝動もある。


久しぶりの天城は自然と雨の日をやはり選んでしまった。


これはもう癖みたいなもので、知らずの内にこんな日に足を運んでしまう。

当たり前だから特別な事は感じないけど、中々他の人はできないらしい。


暗い闇に雨に霧。


いつものように家をでて、3時間半も走れば駐車場。

到着まで後30分・・まだ逃げたい自分は出てこない。

西伊豆スカイラインへ上がれば、もう10分で駐車場。

もう3時間以上運転しているのに

どれだけまだ遠ければいいのに・・・と思う事か。

でも直ぐに着いてしまい、もう逃げれない。

目の前は、真っ白な霧が立ち込めて、車のライトを消せば真っ暗闇。

雨音が車の屋根を叩き、弾けるような

「パチンパチン」って音が頭上で響く

無駄な準備の時間は本当に怖いからすぐにでも

歩き出せるように下界のセブンイレブンで準備してきた。

ドアを開けて・・後ろからバックしょって・・・

三脚もって・・あ!水もって。

一度こうやってシュミレーションしては、怖さに負けちゃだめだって


腹を括る


よし!ヘッドランプ付けて・・・一気にドアを開けた。

外に出て暗闇の先へ、ヘッドランプの光が走る。


ちょっと・・・・・・・やめてよ。


知ってはいたけど、ライトが照らした先に、

なぜか花束とペットボトルのカルピス。


その事件の内容は伏せるが、


これから暗闇の森歩かなきゃいけないのに・・・・・

見たくなかったよ。


そこに誰か居るのかいないのかわからないが

この闇を毎日体験してるのかな?って考えたら、

なんか涙が出そうだった。

でも、行かなきゃならないから・・・・・・

すべての感情を殺して私は歩き始めた。


いつもの所でいつものように挨拶をする。


「久しぶりだね。今日も出会いを楽しみにしているよ。

            安全に帰ってこられるようにお願いね」

これがずっと続くルーティンで天城に入る時の儀式みたいなもの







そして暗闇の森へ歩き出す








久しぶりに歩く森でも、5分もすればいつもの感覚に戻ったように、気持ちも落ち着く。


ピチャンピチャンピチャン


一歩一歩踏み出すその音は、水たまりが弾けなんだかそれも心地いい。

少しだけしみた冷たい水が靴下の先を濡らしたような感覚も

雨の天城に来た事を認識させた。

大粒の雨だけど、森に入ってしまえばそれほどではなく、

時折、滝の様に鳴る雨水の音に、

沢山降ってんだな~って気づく。


闇にこんな音が彼方此方から聞こえる





なんか変な癖で、

ずっと前から道で立ち止まっては全部のライトを消してその暗闇を確かめる。

なにも見えないのにキョロキョロしてみたり下を向いたり上見たり・・・

なんか暗闇に立つ木々の気持ちを感じたくてそんな事をする。

やっぱ、夜の天城はめちゃくちゃ暗いな・・・

もうこの位の時になると、怖さはない。

真っ暗な中で一人でここに立っているんだと思えば思うほどに、


”生きる”って感覚が思い出せるようで


僕にとっては、大切な時間なのかもしれない。

ほら、ちょっと暗闇を歩いただけで、森はいろんな事を思い出させてくれる。

いや?教えてくれるのかな?


こんな時間を僕はもう10年続けて来た。


森に行くのが嫌で行かない時もあったけど、来てみれば思い出すこの感覚は、やっぱり良い。

きっと、自分にあってるんだろうなぁ。だけど、写真を撮る目的がなかったら来るんだろうか?


きっと来ないな。うんそう思う。


もうこの道は何回も何回も歩いて、迷うとかの怖さはない。

けど、闇の霧だけはなめちゃだめだ。

これだけ歩いてるのに、方向を失う事も沢山ある。

登山道ならほぼ大丈夫だけど、ちょっと入り込むと

ちょっと怖い。

でも、その対策は習得済みだ。

立ち止まって歩かなければいい。そして、明るくなるまで待てばいい。ただそれだけだ。


写真を撮らなきゃという欲望が危険を運んでくる。


その欲に飲まれてしまえば、途端に森は救いの手を簡単に引き上げる。

そして、必要な出会いさえも与えてくれない。

こんな感覚は経験しなければわからないと思うが、

きっと、まじめな顔で話したら、大体が馬鹿にしたような顔でこちらを見る。

まぁ~こういう場所だから本音で書けるのだけど、そんな世界は確かにある。


よし、森の入り口に着いたぞ。



続きはサロン内で









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