観音さまのご縁日によせて~日本初の尼僧について~

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観音さまのご縁日によせて~日本初の尼僧について~
分かれがあり出合いがあります。
道はすべてに通じているので、永遠なる別れはありません。
ただし自分自身の道はだれに代わってもらうことなく、自分で歩かねばなりません。
とちゅうで斃れて今生であえなかったとしても。
9月18日
観音さまのご縁日
高野山サロンにいます。
相談&加持祈祷を体験いただけます。またほんじつは、秋彼岸の拝みをすべての有縁の方々にお届けします。
http://yokobuenokai.com/
 There are divisions and encounters.
 The road leads to everything, so there is no eternal separation.
 However, you must walk your own path without asking anyone to do it for you.
 Even if I die in a battle and don't survive in this life.

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日本の最初のお坊さんが女性だったことを知っていますか。
ときは西暦584年。
百済から送られてきた仏像をご供養するために、選ばれたのが当時11歳の
島ちゃんでした。
島ちゃんは、司馬達等の娘でした。島ちゃんは剃髪をして仏門に入ります。
11歳とはいえ、いま考えるよりずっと大人だったと思います。
島ちゃんに続いて、二人の少女が仏の道へ。
僧名を「禅蔵尼」「恵善尼」といいました。
三人は、日本における僧侶のはじまりです。
しかし三人はすぐに氏族間の権力闘争に巻き込まれてしまいます。
僧衣をはぎとられ、むちで打たれるなどの拷問にもあったといいます。
先駆者ならではの迫害を受けた三人は、廃仏派の物部氏の滅亡で自由の身となると、ふたたび仏から活力を与えられ、女性初の留学生として百済に渡ることになりました。
異国で仏教を学び、帰国した三人のもとには、仏教のおしえをこうため
老若男女が訪れます。
やがて聖徳太子は、十七条憲法で仏法を敬うことを制定、中宮寺などの尼寺も建立され、尼僧の数も増えていきます。
推古の時代624年には、尼僧の数は569人(男僧816人)となり、奈良朝にいたって、皇室で最初の出家者・光明皇后の出現となります。
光明皇后は、夫・聖武天皇を助け、ときには自らが中心となって治政にあたりました。権力闘争や疫病の蔓延などで民衆も苦しむ時代のなかで、心の安らぎを仏法への帰依に求めました。
光明皇后は、国分尼寺・法華寺を建立し、病気平癒のご祈祷も行いました。
横笛の会の御本尊は、光明皇后をモデルに彫られた十一面観音のレプリカです。


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