【note無料記事】 洒落について

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【note無料記事】 洒落について
「洒落」について、ちょっと思うことがある。

洒落、冗談、ジョーク、おふざけ?
言い方はなんでも構わないけれど、これを受け取る側が「洒落」として受け取れないことがある。

ただ、それにもパターンが二通りあって――

ひとつは、「洒落が理解できない」パターン。

「アツはナツいねえ」
(アツ…? アツってなんだろう…ナツいって何? 何を言っているんだろう…)

これがAパターン。

そしてBパターンは、「洒落を理解できていないことに、本人が気づいていない」パターン。

落語に『洒落番頭』という噺がある。
洒落のわからない旦那が、洒落好きな番頭にこう言う。

「あの庭にいる蟹で、何か洒落てみろ」

番頭はすかさず、

「いえそう、にわかに(庭蟹)は出来ません」

すると旦那は、

「まあまあ、そう言わずに。時間をかけて洒落てみろ」

と、まったく噛み合わない。洒落を理解できない上に、相手の言葉をそのまま受け取っている。

「アツはナツいねえ」
「アツとは何ですか? あなた、日本語がおかしいですよ。勉強してください」

このAパターンとBパターン、私は職業柄、Bの人に絡まれることが多い。

「あなた、さっき林家をああいうふうに言っていましたが、それならば高座ではなく、当人たちに直接言うべきです」

「いえ、あの、洒落ですので… 誰も本気でそう思っているわけでは…」

もちろん、自分の芸風として洒落がキツめなのは自覚しているし、勘違いされても仕方がないところもある。それによって私自身が嫌な思いをしているわけでもない。

なんというか、そういうものだと割り切っている。
10人のうち2人くらいに勘違いされるのは仕方がない、と思って発言したり、SNSに投稿したりしている。正直それくらいの感覚じゃないと、面白くはならない。

だから私の感情はどうでもいいんだけれど、ちょっと気になるのは、そういう人たちは日常生活で大丈夫なんだろうか、ということ。

「そんなこと言われる筋合いはない。洒落が伝わらないのは、洒落が下手でつまらないからだろう」

という人もいるが、洒落の上手い下手はあまり関係ない。

そもそも洒落というのは、言い換えれば「誤った情報」であり、それを意図的にやるという意味で「嘘」だ。我々の商売は「嘘をつく」商売なのだ。

この「嘘」を「嘘」と見抜けないというのは、実に危なっかしいのではないか。
プロパガンダがどうこうと言われるこの時代に、「わかりやすい嘘」「わかりにくい嘘」なんて区別をしている場合じゃない。
だから、下手だろうがなんだろうが、洒落を洒落と見抜けない人はやはり心配になる。

ちょうどタイムリーな話で、どうやら7月5日に大災害が起きて人類が滅亡するらしい。
ある漫画家がそんな夢を見たと発信したのがきっかけで、どんどん話が膨らんでいる。

そういうのを見て、すぐに信じたり、パニックになったりしていないだろうか。

さすがにそこまで極端な人はあまりいないかもしれないけれど、たとえば京都人に「ぶぶ漬けでも」と言われた時に、ちゃんと対応できるのだろうか。

――なんてことを考えてしまうから、洒落の通じない人を見ると「大丈夫かなあ」と心配になってしまうのだ。

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