中川編⑤ 岡城の築城

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中川編⑤ 岡城の築城
城造りに生かされた南蛮渡来の技術とデザイン

 秀成が家臣団4千人を引き連れて豊後岡にやってきたのはまだ江戸時代になる前の1594年のことでした。前城主である志賀氏の時代の岡城は天守閣を持たない「館」が城でしたので、秀成はすぐに天守閣を備えた城を作る計画をします。ただ、城ができるまでの間は前城主である志賀親次の屋敷に住まうことになりますが、志賀親次編でも書いたように親次の屋敷はキリシタンたちのための教会代わりとして日本人キリシタン、イエズス会宣教師、ポルトガル人に開放していて、そこでは毎日ミサが行われていました。そこに或る日、殿様が交代したわけですが、キリシタンや宣教師の立場から見れば、「新しい殿さまは、果たしてこれまで通りにキリスト教の信仰を許してくれるのだろうか」という不安があったにちがいありません。
 
岡城築城時の想像図
 
 しかし、そんな不安は中川氏が連れて来た大勢のキリシタン家臣団を見て取り除かれたことでしょう。なぜならば、中川氏は元々が大阪茨木城主であり、ザビエルが来日直後に京都に向かう途中、茨木でも布教を行っていることから、中川氏とイエズス会は旧知の仲だったのです。そうだとわかれば、イエズス会が新しい岡城の造営に力を貸したとしても不思議ではありません。志賀氏が薩摩軍から岡城を死守した話は今も有名ですが、その頃には今の岡城はまだ存在しておらず、現代に残るあの壮大な石垣は中川氏がやってきてから築かれたものなのです。

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大分県竹田市には、全国的にも類を見ない貴重なキリシタン遺物・遺構が多く存在し、様々な不可思議な伝承も今日まで受け継がれてきました。それらの謎を解き明かし、隠された歴史の真実に迫る歴史ミステリー探求サロンです!
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