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御霊の誓願

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御霊の誓願
この世界で生きることは、つらいことや哀しいことが少なくないのではないでしょうか。
人気のない場所に行って、人知れず涙を流したり、厭世観にうちひしがれて、落ち込んだりというようなことは、誰にもあり、珍しいことではありません。また、病気になったりけがをしたりして、体力が落ちることで、気力も失せてしまうことも当たり前のようにあります。

大きな存在の視線

私たちはともすれば、自分以外の人がしあわせそうに見えたり、なぜ自分だけがこんな目にあわなければいけないかと思い込んで嘆いたりしがちです。
しかし、肉体をもって現世を生き抜くとは、日々、大小の試練を乗り越えていく道のりです。いかに乗り越えていくのか、いけるのかが試され、どこかでじっと大きな存在が見ていると考えるとどうでしょうか。大きな存在、それを神仏とおよびしてもよいと思います。

さらに、個性は与えられ、決めた課題に立ち向かっていくことで、人生は御霊が成長するために設定されている、そう考えてみると、人生とは、もともと人と比べるものではなかったことがわかります。

人間関係はであい。人生行路の中で互いに行きかい、会話をし、一緒にプロジェクトを組み、思想面でも影響を与え合い、けんかをしたり、ときには深く愛し合ったりもします。
しかし、たちかえれば、一人ひとりは、それぞれが人生の主役。こころが感じる喜怒哀楽はとうの自分自身が受け止めるしか、かわって感じてくれる誰かがあるものでもありません。だから唯一無二である自分自身をいかに大切にするかが問われてくるのです。

御霊が決めてきた人生の課題

私たちは生まれてくる前、御霊の段階で、今生はどんな人生を歩むか、どんな人生の課題にチャレンジするかをあらかじめ決めてくるといわれます。
身体はどうでしょうか。現世で生きることの特徴は、たぐいまれなるご縁により、ある身体とある御霊が出会うことに始まります。もっというと、精子と卵子がであった最初の段階で、御霊が身体を選んでやってくるというお話もあります。
この世に出てくる前の胎児はお母さんのおなかの中で、その生存の目的はただ一つ、それは生育することだけです。羊水にぷかぷかと浮いた胎児は、限定された世界ではなく、たえまなく送られてくる無尽蔵の栄養素=愛のなかで、ただ一心に呼吸をしています。
生れ落ちると限定された世界で生きることになりますが、このとき、すでに個体の人生の目的が決まっているわけです。

いかに、乗り越えていくのか

人生の目的は千差万別。貴賤ももちろんありません。ひとりひとりがかけがえのない小宇宙の存在。かかせない光です。
光の目的は大きな宇宙を形成する、なにかのために必要で、不可欠で、その目的を達したとき、その人生はいったん終わりを告げるように、人間には見えます。しかし御霊は死にません。自然存在である身体は土に還りますが、御霊はずっとずっと永劫に生き続けるものです。私たちがこの世で生かされることは、御霊への責任でもあります。
人が生きる意味を考えるときの、ひとつのシンプルな考え方を今日は提示させていただきました。なにかのご参考になれば幸いです。





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