中川編⑦ 未知と禁断の領域 虎姫とキリシタンにまつわるミステリー

テキスト

中川編⑦ 未知と禁断の領域 虎姫とキリシタンにまつわるミステリー

秀成公の正室「虎姫」 

 秀成の父、清秀は賤ケ岳の戦いで佐久間盛政に敗れました。その後、秀吉の薦めで秀成は敵将である盛政の娘を娶(めと)りますが、それが「虎姫」です。秀成が虎姫を娶(めと)るまでの話は美談としてよく取り上げられますが、ここではまず他では取りざたされることはないであろう、キリシタンにまつわる側面から虎姫の実像に迫ってみます。
  ←佐久間盛政   ←金沢城

虎姫とキリスト教のつながりはあったのか

 虎姫の父、佐久間盛政は初代金沢城主(当時は尾山城)で、その頃に北陸で最大の勢力を誇った柴田勝家の甥でした。一般的に柴田勝家、佐久間盛政ともに無骨で荒々しい戦国武将という描き方しかされませんが、この二人には意外な一面があったのです。
「鬼柴田」の異名を持ち、武骨で保守的なイメージの強い勝家ですが、実はキリスト教に対して極めて寛大で現実的な態度を取っていました。その具体的な接点を示すエピソードが、宣教師ルイス・フロイスの『日本史』に詳しく残されています。
勝家がルイス・フロイスらを北ノ庄城(福井)へ招いていた!
1581年(天正9年)、イエズス会の巡察使ヴァリニャーノやルイス・フロイスらが布教のために越前を訪れた際、勝家は彼らを自身の本拠地である北ノ庄城に迎え入れました。勝家は宣教師たちを非常に歓待し、彼らのために城内や新しく整備された広大な城下町を案内したと言われています。フロイスはこの時の勝家の権勢や活躍ぶりを「織田信長のようだ」と非常に高く評価しています。
  ←ヴァリニャーノ    ←ルイス・フロイス

盛政の金沢(尾山城)での宣教師歓待

 柴田勝家の甥であり、「鬼玄蕃(おにげんば)」の異名で知られる猛将・佐久間盛政も、叔父の勝家と同様にキリシタン(宣教師)と直接の接点を持っていました。そして、叔父の勝家がキリスト教に対して非常にフェアーで寛大なスタンスを取っていたため、当時加賀(金沢)の統治を任されていた盛政も、勝家に倣(なら)って宣教師たちに対して非常に好意的な態度で接しており、城内で彼らを饗応し、親しく交流したことが記録されています。

 「これほど優れた人物はいない」と絶賛された盛政の意外な人物像

 戦場では敵を震え上がらせるほどの恐るべき猛将だった盛政ですが、イエズス会の宣教師たちの目には全く違った姿に映ったようです。フロイスは盛政の印象について、「非常に聡明で礼儀正しく教養があり、彼ほど優れた人物には滅多にお目にかかれない」と、最大級とも言えるほどの賛辞を贈っています。また、キリスト教の教義(デウスの教え)についての説明も、盛政は非常に熱心、かつ深い理解を示しながら聴いていたと書かれています。

 さて、ここまで勝家や盛政のキリスト教との関わりについて長々と書きましたが、これからが本題です。今回、虎姫にまつわるミステリーと銘打ったのは、盛政の娘である虎姫も洗礼を受けたかどうかは別として、キリスト教を日頃から身近に感じていて、父が宣教師から聴く話に虎姫自身も大いに影響を受けていたのではないかと思ったからです。「まさか!」という読者は少なくないでしょう。ところが、それを裏付けるようなヒントが、ここ竹田には残されているのです。これまで虎姫とキリシタンとのかかわりについて言及した人は他にいなかったと思われますが、それは誰も気づかないのか、あるいはキリシタンという足を踏み入れることが許されない未知の領域であったからなのかはわかりません。しかし、あえてそこに踏み込んでいくのがこのサロンの真骨頂だと考えます。では、そのミステリーを読者のみなさんと一緒に垣間(かいま)見てみましょう。


続きを表示するには、入会が必要です

竹田キリシタンミステリーサロン

ご入会手続き中に完売することもございます。


販売価格 サロン料金 入会/詳細
入会後無料
※退会後閲覧可 詳細はこちら

1,000円/1ヶ月ごと

入会する

サロンに入会中または購入済みの方はこちら

続きを閲覧するには、DMMアカウントへのログインが必要です。


オンラインサロン情報

竹田キリシタンミステリーサロン

竹田キリシタンミステリーサロン

1,000円/1ヶ月ごと
サロンページを見る

サロン紹介

大分県竹田市には、全国的にも類を見ない貴重なキリシタン遺物・遺構が多く存在し、様々な不可思議な伝承も今日まで受け継がれてきました。それらの謎を解き明かし、隠された歴史の真実に迫る歴史ミステリー探求サロンです!
運営ツール
DMMオンラインサロン専用コミュニティ

あなたにおすすめの他サロン

おすすめサロンをすべて見る
ページトップに戻る