中川編⑨ 日本で起きたカトリックとプロテスタントの戦い

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中川編⑨ 日本で起きたカトリックとプロテスタントの戦い

  


 キリスト教には基本的に大きく分けるとカトリックとプロテスタントがあります。よく誤解されている方がいますが、キリシタンとは全員がカトリックの信者であり、プロテスタントのキリシタンは一人も存在しません。その理由は本編の中で後述することとして、ここではまず教科書には載らない日本国内でのカトリックとプロテスタントの戦いについて考証してみましょう。


想定外だったプロテスタントの来日

 少し以前の復習をしましょう。16世紀にヨーロッパで宗教改革が起こり、カトリックはプロテスタントの急激な台頭に押されて窮地に追いやられます。そこで、カトリックは失地回復のために東アジアへの進出に望みを託し、ついにザビエルがイエズス会として1549年に来日しました。その後、イエズス会がローマ教皇、ポルトガル国王、豊後国主大友宗麟のバックアップを受けて順調に日本でキリシタンを増やしていったことは周知の通りです。ところが、ヨーロッパで起きた宗教改革に伴うプロテスタントの嵐は1600年のリーフデ号の偶然の漂着によって日本でも瞬(またた)く間に吹き荒れ始め、それまで独壇場(どくだんじょう)であったカトリックにとっては青天(せいてん)の霹靂(へきれき)となります。

 
リーフデ号

 また、これはあまり着目されることがないのですが、日本国内でのキリスト教布教初期に国主である大友宗麟自らがイエズス会を保護し、キリスト教を奨励したのが豊後国なら、プロテスタントのオランダ船リーフデ号が漂着して、プロテスタントが最初に足を踏み入れたのもまた宗麟が晩年を過ごした豊後国臼杵でした。つまり、どちらも豊後であったという興味深い偶然があります。この点から見ると、日本のキリスト教史において豊後という国はカトリックにとってもプロテスタントにとっても特別な地であったのではないでしょうか。では、日本にプロテスタントがやって来たことによってカトリックとキリシタンはどうなっていったのでしょうか。今回はこの点について詳しく掘り下げてみます。

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