「ヴィジュアル系かく語りき」
伝説のヴィジュアル系バンド「MALICE MIZER」創始者のMana様が、様々なバン
ドマンや関係者をお招きする対談企画。「音楽」と「ヴィジュアル」を共通項に、ミュージシャンたちとの親交を深めます。今回のお客さまは、VersaillesのKAMIJOさん。
2023年1月、Moi dix Mois×Versailles×D×摩天楼オペラの4アーティストが手を組み、“Japanese Visual Metal”なる新たなシーンを創造し様々な活動を展開するというプロジェクトの発足を発表。ライバルとして、同士として新時代を共に歩き始めた2人の対談をお楽しみください。
文・構成 本田水奈子
―まずはお2人の出会いのきっかけと、第一印象を教えてください。
KAMIJO:僕が通っていた高校の同級生に、先にMALICE MIZERのローディーをやっていた、キンゾーという男がおりまして。彼からのつながりで僕もローディーに、という流れがきっかけでした。一番最初にManaさんを生で目にしたのは目黒鹿鳴館の前の路上でしたが、全身黒づくめの服を身にまとい黒いサングラスをかけたManaさんが路上に立っていらっしゃったのが遠目からでも見えたんです。時刻はそうですね…、ライブハウスの入り時間の頃なので午後1時くらいだったと思うんですけど。当時の僕は、目黒に降り立つのも初めての少年でしたから、その姿を一目見た瞬間「なんて場所なんだ、目黒は!」と衝撃を受けたのを覚えています。目黒=MALICE MIZER。そんな印象でした。
Mana:私的には爽やかな好青年が来たな、っていうイメージだったかな。
KAMIJO:それが今や、爽やかさとは程遠い感じになってしまいましたが…。
Mana:すっかり耽美に染まっちゃってるもんね。
KAMIJO:それ以来かれこれ28年ほどのお付き合いになります。出会ってから常に、Manaさんの背中を見つめさせていただいております。
―普段、プライベートではどんな交流をされているんですか?
KAMIJO:今はちょうどJapanese Visual Metalのプロジェクトでご一緒させていただいているので、その相談ごとなどもあって連絡を取り合う回数は過去イチ多いかと思います。
Mana:そうね。
KAMIJO:プロジェクトの始動によって、Mana様との距離が1ミリずつ近づいているのを感じて、ちょっと最近嬉しいんですよ。
Mana:(微笑)鰻、食べに行ったよね。「良い鰻屋さんがあるんですよ」って教えてくれて。
KAMIJO:行きましたね。
Mana:イタリアンのお店でワインを飲みながら語ったこともあったし。
KAMIJO:“耽美とは何か”について語り合いましたね。僕はManaさんのお話を聞いているのがとにかく楽しくて、一緒にお食事をさせていただくのは至福の時間です。ローディーとして、そばにつかせていただいていた頃もそうだったんですが、Manaさんを筆頭にMALICE MIZERのメンバーは皆さん、どこか常にミステリアスなんです。だから、当時わからなかったことを、今お話しを通じてお伺いできるのが本当に嬉しいですね。
―ローディーとしてそばにいてもなお、ミステリアスな存在だったということは、Mana様に今回のプロジェクトのお誘いをする時はかなり勇気が必要だったのではないですか?
KAMIJO:たしかに勇気はものすごく必要でした。でも、音楽シーンの中でのご自身の存在感であったり立ち位置についてはManaさん自身が一番よくわかってらっしゃることですし、ファンの皆さんのことをとても深く考えていらっしゃることも僕は理解していたので、そんなManaさんになら今回の件をお話すれば共感してもらえるのではないか。ご一緒させていただける可能性もゼロではないんじゃないかっていう気持ちに突き動かされました。
Mana:KAMIJOから話を持ち掛けられたときには、単純に「面白そうだな」と。最初の段階ではまだライブをしようという話にはなってなかったんだけど、渋谷の街中にラッピング・トラックを走らせるとか、私にはないアイディアを持っていたので。渋谷の街がJapanese Visual Metalに染まるっていうのは、なかなか斬新な景色なんじゃないかと。面白そうだな、楽しそうだな、という予感が最初の印象かな。
KAMIJO:街という日常の中にJapanese Visual Metalのトラックが走ってたら違和感があるな、と。そこに、我々の音楽がサウンド・トラックとして存在することで、映画の中の世界のような良い違和感を生み出せるんじゃないかと思ったんですよね。現実が現実じゃなくなるような世界を作る。そんな感覚でお誘いしました。だからどちらかというとイベントやライブは、その世界作りをするために組み込まれていったという感じです。
―Mana様とこんなことをしたら面白いんじゃないかというアイディアは、どのようなときに思いついたのですか?
KAMIJO:今回あらためて思い浮かんだというよりも、これはもうルーツというか…。ファンの方を驚かせたい、楽しませたいとアイディアを次々と出していくManaさんの姿をずっと見せていただいて、ずっと背中を追わせていただいていたので必然でした。
Mana:MALICE MIZERの頃は、ライブでいかに意表を突くかってことばっかり考えてたからね。
KAMIJO:とにかくMALICE MIZERのライブはオープニングを見逃したら後悔する。それがSHOWだというのを身をもって学ばせていただいていたなと思います。ファンの皆さんをワクワクさせるにはどうすればよいのかを常に考えるというのはManaさんを長年直接見させていただいてきた自分としては当たり前のことでした。
―Mana様のそういった姿勢から受け継いだイズムは、KAMIJOさんご自身のバンド活動にも生きていらっしゃるような気がします。
KAMIJO:もちろんあります。何よりMALICE MIZERのライブはとにかく作り込まれていたので日々吸収していました。例えば、ラレーヌで、初めてワンマンをやらせていただくという時には、何かしかけなきゃいけないと衝動にかられまして、鹿鳴館のステージ上の黒い壁と床を白に変えてみたり。ただ、MALICE MIZERがやったことをそのままやるわけにはいかないですから、“MALICE MIZERがやっていないことで、自分たちができること”というポイントを突かなければいけないのがなかなか大変でした。
Mana:たしかに、MALICE MIZERはステージの壁の色まではいじらなかったかもね。装飾物はかなり持ち込んだけど。
KAMIJO:MALICE MIZERは、次の世代のすべてのバンドのハードルを上げたと思います。すぐ後ろからついていく身としては「これは参ったぞ」と。
Mana:(微笑)
KAMIJO:MALICE MIZERは中世ヨーロッパをコンセプトに掲げていたので、僕たちはギリシャでいこう!って。それくらい、ギリギリかぶらないラインを選んで…。
Mana:ラレーヌにギリシャのイメージはあんまりなかったけどな~。
KAMIJO:いや、結局ギリシャは速攻でボツになったんです。
Mana:あ、そうなの?
KAMIJO:やっぱり僕は18世紀のフランスなどヨーロッパの世界観が好きなんだってことを認めたというか。だからこそMALICE MIZERのローディーをやっていたわけなので。そこをねじまげてまでギリシャをやろうというのは、どうなんだろうって思いまして。「でも聖闘士星矢とかいいよね」なんて言っているメンバーはいたんですけどね(笑)だけど僕はやっぱり薔薇がいい…と。で、自分に素直にやりたいことを表現するようになりました。ただ、当時はMALICE MIZERのローディーをやらせていただいてたと公言するのは、自分の美学に反しているような気がして。
Mana:なるほど。
KAMIJO:デビューするまではお名前を出さないようにしていたんです。恐縮ながらSpecial Thanksにもお名前を載せないという、失礼なことをずっとしてしまってました。
Mana:そうだったんだ。KAMIJO以外にも、ラレーヌの4人のうち3人がMALICE MIZERのローディーをやってたから、活動しているのをちょっと不思議な気持ちで見てたところはあるかな。
KAMIJO:結構ローディーの人数が多かったですよね。当時は、MALICE MIZERのツアーにローディーの中から誰が連れていかれるんだろうっていうのが毎回ドキドキでした。
Mana:そうだったんだ。
KAMIJO:全員ゾロゾロツアーについて行くわけにはいかないので、車の免許を持っていなかった僕は置いて行かれる可能性が高いはずなんです。でもなぜか大体連れて行っていただいていて、すごく楽しい思い出ばかりです。
Mana:ツアーに行ってたってことは、心霊スポットも行った?
KAMIJO:心霊スポット?
Mana:MALICE MIZERはツアーに出ると基本心霊スポットに立ち寄るっていうのがお決まりだったんだよ。
KAMIJO:僕は行ってないです。心霊スポットに連れて行かれてたら、ローディー辞めてたかもしれません。
Mana:えっ! 心霊苦手なんだ。
KAMIJO:苦手です。心霊スポットに行く話をふられていたら、連れて行かれる前に本当に飛んでたかもしれません。
Mana:そうなんだ。
KAMIJO:怖いのはまったくダメですね…。
Mana:あの頃はローディーの子、みんな私の家の近くに住んでたよね。キンゾーとかMAYUなんかは、歩いて30秒レベルだったんじゃない?
KAMIJO:でしたね。僕はManaさんの家から2~3分のところだったんですけど、どちらかというとKamiさんの家から近かったんです。だからKamiさんの家によく呼んでいただいていました。
Mana:Kamiがなんだかんだローディーの面倒を一番よく見ていた印象があるな。
KAMIJO:ええ。本当にいろんなところに連れていってもらいました。「ちょっとご飯食べに行くからついておいで」とかもあったし、L'Arc-en-Cielコンサートが渋谷公会堂であった時にKamiさんに連れられてビラ配りに行ったっていう想い出もあります。
Mana:へえ、それは初耳。Kami、そんなことしてたんだ。
KAMIJO:そうですね。ローディーを引き連れて。「バンドは自分たちで頑張んなきゃダメだから」というようなことをおっしゃってました。
Mana:熱いね。
KAMIJO:あとは、Kamiさんと一緒にCDを納品しに行ったり。
Mana:CD屋に?
KAMIJO:はい。『memoire DX』 の時も『Voyage 〜sans retour〜』の時も、一緒に機材車に乗ってCDショップを回りました。
Mana:確かに、あの頃は自分たちで納品してたからね。
KAMIJO:お店と直でやりとりして、割と良いパーセンテージで買い取ってもらうシステムだったんですけど、それってMALICE MIZER独特のシステムで。デモテープの時代からその方法でしたよね。
Mana:そうだったかもね。
KAMIJO:たぶん、この記事を読んでいる方はピンとこないかもしれないんですけど、これって結構強気なやり方なんですよ。基本新人は委託が普通なので。そういう意味でもMALICE MIZERって伝説だなと思います。僕ものちのち、自分のバンドでもMALICE MIZER方式を真似してました(笑)
Mana:私も、CD積んでいろんなところ回ってたな。一日に何軒も。
KAMIJO:その時の経験とかショップ店員さんとの人脈が、その後の自分の活動に役立ちました。お店さんが応援して下さったのは、あのローディー時代のことがあってのことだったと思います。
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後半のトピックは…
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■2人の好きな女性のファッション
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