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「うちの子、発達障害かもしれない…」と悩む親のための子育て講座

お子さんが「発達障害かも…」と悩んでいる方は近年ますます増えてきています。 本講座は、長きに渡って発達障害を研究されてきた品川裕香先生が、発達障害に関する正しい知見と最適な対応方法を丁寧にお伝えしていく講座です。

品川裕香

「うちの子、発達障害かもしれない…」と悩む親のための子育て講座
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サロン概要

自分の子どもが「発達障害かも…」と悩む方へ向けての初めてのオンラインサロン

いじめ・不登校・虐待~LD・ADHD・アスペルガー症候群など特別支援教育、非行など矯正教育までをテーマに長年にわたり多角的に取材執筆。

文部科学省「中央教育審議会特別支援教育部会委員」「フリースクール等に関する検討会議委員」などを現在も精力的にこなしている品川裕香さんが「自分の子どもが発達障害かもしれない」と子育てに悩む親御さんに向け、「子育て講座」を初めてオンラインサロンという形で始めます。

彼女が長きにわたって蓄積してきた幅広い知見や鋭くも温もりのある教育理論やメッセージは、発達障害のお子さんを抱える全国の親御さんにとっては「待ちに待ったオンラインサロン講座」となるでしょう。

また、同じ悩みを共有する親御さんどうしの繋がりやコミュニケートを活性化させる、オンラインサロンらしいコミュニティ企画も多数ご用意しています。


品川裕香先生からのちょっと長いメッセージ


私たちの身近にあった暴力に気付いた20代半ば

「発達障害」という概念を知ったのは今からちょうど30年前の1991年のことです。

そのころ、私は総合週刊誌の編集者をしていました。時代は湾岸戦争真っ盛りで、日本も自衛隊をPKOとして派遣するかどうかで世論が大きく割れていました。

そんな中、たまたまある取材をしていた中で、偶然、気付いてしまったのが児童虐待と夫婦間暴力が公けになっていないだけでものすごく多いという事実でした。

児童虐待防止法もまだ制定されていない時代のことです。世間では虐待するのは継母や継父で、暴力を振るうのは貧困やアルコール依存などがあるからで日本ではあまりなく、一部の極端な例が目立っているだけだと思われていました。

ところが、取材をすれば、暴力は私たちのごく身近にあり、それは筆舌に尽くし難いくらいひどいものでした。

必ずしも貧困やアルコール依存は関係なく、被害者も子どもだけではなく、夫が妻や子どもに暴力を振るう、妻が夫や子どもに暴力を振るう、兄姉が弟妹に喧嘩とは言えないレベルの暴力を振るう、祖父が嫁や孫に暴力を振るう、姑が嫁や孫に暴力を振るうなど、背景も暴力もいくつものパターンがあったのです。

20代半ばだった私にとって衝撃だったのは、暴力を振るわれても相談する場所もなく、警察も民事不介入が原則だったので法的に介入できなかった点でした。加害者も超高学歴で、一部上場のエリートだったり士業の人たちだったりなど、社会的階級も経済的階級も高い人たちも少なくありませんでした。その後、私は日本子ども虐待防止学会の立ち上げにメディアとして関わります(学会ができてから虐待防止法もできたのです)。


図書館で虐待に関する論文を読み漁り、「全米ADHD児者協会」会議に出席


一方で、取材をすればするほど、当時の私は虐待報道のあり方に疑問も抱くようになりました。

新聞やテレビは「こんなひどい事件が起こった」と過去のひどい話として報道します。媒体の形態上仕方ないことではありますが、そう報道すればするほど、現実は少しずつズレいていき、情報の受け手は自分ごととして見なくなる、あるいは見られなくなるような気がしていました。

出版には別の形での報提供ができるのではないか? どうすれば情報の受け手は、ひどい「よその」事件としてではなく、「明日は我が身」と受け止め、少しでも暴力、ひいては逸脱を予防できるようになるのか? 

私はひたすら調べ続けました。

インターネットもない時代でしたので、時間を見つけては大学の図書館に通い、虐待に関する論文(当時は国内のモノはほとんどありませんでした)を読み漁り、「微細脳損傷がある子どもは虐待を受けるリスクが高い」と科学的根拠をもとに書いてあるものを複数見つけました。

微細脳損傷が分からなかったので、さらに調べると、LDとADHDは微細脳損傷だと書かれてあります。LDが学習障害だということはわかっていました。ちょうどマイクルバストの「学習障害」という名著が翻訳されたばかりでしたから。ですが、ADHDについては全く資料がありませんでした。当時、テレビでコメンテーターをしていた著名な小児科医に聞きに行くと「ああ、あれは肉ばかり食べるアメリカ人の病気だよ。日本人にはいない」と断言され、さらに混乱します。アメリカ人にあって日本人にない病気? 風土病ならまだしも・・・??

仕方がないので、時間をみつけてはアメリカで開かれるCHADD(全米ADHD児者協会)の会議に出席するなどして、少しずつ勉強を重ねました。


ADHDのアメリカ人と出会ったことで、抽象的な“医学用語”だったADHDの深刻な実体を初めて体感し、理解する

ところで、1994年、私はゲイでHIV感染者のアメリカ人DJパトリックの連載を立ち上げました。なかなかおもしろく可愛げのある人なのですが、とにかく集中力がなく、何をやっていてもすぐに飽きてしまう。取材相手と対談しているのに、急に「あ、品川、見て! 珍しい飛行機!」なんて、全然違う話をする・・・。じっとしない。気が散ってばかり。忘れ物が多い。失敗だらけ。気がついたら借金だらけ。何度、「そんな言動は相手に対して失礼だろう」と怒ったことか。

そんな彼が、ある日、涙を浮かべながらこう言ったのです。

「悪いと思ってはいるんだけど、僕は生まれつきじっとできない病気なんだ。小学生の時、ADHDって診断されていて、アメリカではリタリンというお薬も飲んでいたんだよ。でも、日本では知られてないし、お薬も認められていないからもらえない。どうしたらいいかわからない」

また、言い逃れようとしていると思った私は「何、言い訳して・・」と言いながら「えっ? ごめん! なんて言った、今?」と叫びました。

頭の中で、パトリックのこれまでの言動が花火のようにスパークし、溢れ出しました。

実は、パトリックは父親から激しい暴力を受けて育ちました。学校でもいつも怒られてばかり。頭が悪いわけではないのにケアレスミスばかりでテストでは点が取れない。読み書きも苦手。いじめられっ子でケガもよくするし、人との約束も忘れる。トラブルも多いし、ずっと自分はダメな子いらない子なんだと思っていたーー。

医学用語でしかなかったADHDが実体を伴い、私は改めてことの重大性を実感しました。

「パトのあれこれの原因の一つがADHDなら、これは本人も親も先生も本当に大変だ」と。そうして私は“ADHDやLDなどの正しい情報を伝えることは、本人が暴力を受けるリスクを下げ、本人自身の効果的な学習を支援し、長い目で見たら本人が社会的に逸脱する(非行やいじめなどの反社会的行動、不登校や引きこもりなど非社会的行動も含む)も防ぐ。これは確実に日本社会に正しく伝えなければいけない喫緊の情報だ”と強く確信したのです。


ADHDの本を企画編集後、ADHDの子どもを持つ親御さんの話を聞き、さらにその現状を調べていく

‘99年、雑誌から書籍に異動になったのを機に『手の付けられない子 それはADHDのせいだった』という翻訳本を企画編集し、世に送り出しました。

「きっかけは作った、あとは専門家の出番だ」と思った矢先、本を読んだという男性から編集部に電話がかかってきました。

「アメリカの話なんかされて、親はどうすればいいんだ! 息子はアメリカでADHDと診断されたけど、リソースルームで学びながらアメフトの選手もやって勉強もできて、学校では人気者だった。帰国に当たって受け入れ先の学校を探したら、東京にも横浜にもどこにもうちの子が学べる学校がない! 文教地区と言われる自治体に問い合わせたら“そんな子を受けいれる学校は日本にはない。養護学校に行くべき”と言われた。日本の教育はどうなっているんだ!」

男性は1時間以上、電話口で怒り続けました。後半は涙声になっていて、私は彼の気持ちを思うと、胸が押し潰されそうでした。この時はひたすら話を聞くことしかできませんでした。

私は編集者として「知ってしまったことは、無視したりスルーしたりは絶対にしない」ということを自分に課し、矜恃を持って雑誌も単行本も作っていましたし、これは今も貫いています。

この男性の話を聞いて、私にできることは一つしかありませんでした。それは1999年~2000年の日本におけるADHDを巡る現状をしっかりと取材することーー。今、教育現場で何が起こっていて、そこにはどういう問題があるのか、解決策はあるのかなどを吟味分析して、正しく伝える。そして判断は読者に委ねる。そう決心し、2年におよぶ取材を経て、2001年に出版したのが『嫌な子・ダメな子なんで言わないで ADHDを持つ子の姿と支援法』(小学館)でした。

「今度こそ、編集者としての仕事は終わった。あとは専門家や教育者、行政がやるべきだ」と考えていたところ、またしても本を読んだ読者から連絡をいただいたのです。


親御さんからいただいた連絡に、再び衝撃を受け…

その方は、西日本に住む30代後半の女性でした。

「小学校4年生の息子は、字が覚えられないし書けないし、すぐ手足が出るし、友達ともトラブルばかり起こし、とにかくじっとできません。それで先生たちの怒りを買い、椅子にガムテープでぐるぐる巻きにもされました。息子の問題行動に激怒した校長から児童相談所に行くように言われ、そこで紹介された医者はいきなり息子に“君はADHDで、一生治らない頭の病気”と言ったんです。病院を出て駅に向かう途中で、ショックを受けた息子は大きな声で“僕はバカだったんだ”“頭の病気だから治らないんだ!”と叫び、欄干に頭を打ちつけるほどでした。その後息子は塞ぎ込み、突然、2週間前にマンションから飛び降りて自殺しました。私は息子に謝ってほしいだけなのに学校も教育委員会も相手にしてくれません。どうか私の話を聞いてください」

何がなんだかわからないまま取るものもとりあえず、その方のご自宅を訪ね、長い間お話を伺いました。

20年前のこととはいえ、学校も教育委員会も児童相談所もとりつく島がなく、彼女は打ちひしがれていました。日が暮れる頃、彼女は号泣しながら1枚の藁半紙を取り出しました。「息子が飛び降りて1週間経った後、突然、担任がうちに来て“そういえば、昨日、こんなのが見つかりました”って言うんです。どう思いますか?」

それは藁半紙に印刷された漢字テストでした。

その裏には、バランスの悪い字で「死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい」とびっちり書かれてありました。小学4年生の遺書を見たのは初めてのことで、私は体中の毛穴から血が吹き出すような怒りを覚えました。筆圧が強かったので、裏に何かが書いてあることは採点していたらすぐに分かったはずです。それなのに、なぜ担任は亡くなって1週間も経ってから母親に何事もなかったかのように届けたのか。当初、取材するつもりはなかったのですが、少年の字を見たときにどうしようもなくなり、その足で校長に会いに行きました。校長は私に「亡くなったのは気の毒だけどね、あれはしつけが悪いんだよ。あの母親、再婚でしょ? 僕は今度の3月で定年なんだよ。来年の4月から教育委員会に行くことになっていたのに、パーになったよ」と迷惑そうに言いました。

これがその頃の現実だったのです。

私は日を改めて関係者全員を取材し直し、この事件のことは週刊朝日に書きました。


発達的な課題のある子どもや若者、その保護者や教育、行政と関わっていくことに

その後も、読者からの連絡は続きました。

「ADHDと言われているが、うちの子は読み書きができない」「読めるけど書けない」「対人関係ができない」「こだわりが強くてすぐパニックする」……どの方も最後にこう言います。

「診断だけされて、指導や対処方法はわかりません。障害を受け入れろとばかり言われますが、それで本当にいいのですか? 受け入れればうちの子は自立できるようになるんですか?」

 そのうち本人たちからも連絡が来るようになりました。

「ホントはもっとちゃんとできるようになりたいんだけれど、どうしたらいいかわからない」

「自分に将来があるとは思えない」……。

 ――知ってしまった以上、知らなかったことにはしない。

ただ、その一念で、私は発達的な課題のある子ども若者、その保護者や教育、行政と関わるようになりました。その後、日本ではほとんど知られていなかったディスレクシア(読み書きのLD、読み書き困難)についての本を出したことが縁で、数少ない日本の専門家たちとディスレクシアをはじめ発達障害のある子ども若者を指導するNPO法人らんふぁんぷらざを2002年に、発達性ディスレクシア研究会を2003年に作り、今日に至ります(NPOらんふぁんぷらざは20年3月で解散しましたが、通っている子供若者が100人以上いましたので事業を引き継ぎ、今は私が取締役副会長を務める(株)薫化舎コンサルタンツが経営しています)。





本サロンでは、発達障害の子どもの自立や社会参加のため、家庭や親が子どもにできること・やるべきことをご説明していきます

例えば、今ならADHDや自閉症スペクトラム、LD、ディスレクシアと言った言葉を一度も聞いたことがないという人は少数派でしょうし、概念についてもなんとなく知っているという人は少なくないと思います。また、ADHDや自閉症スペクトラム、LD、ディスレクシアという医学用語がそれぞれどういう状態を指し、そう診断された人はどういう思いをして、どういう教育を受けて、どういう大人になっていくのか、あるいは親はどういう気持ちで、どういう立場に立たされ、何をしたらいいのか……発達障害に関する書籍も雑誌も漫画もテレビも山のようにあり、情報はいくらでも入手できる時代になりました。

それでも、相変わらず、私のところには全国の(時には海外からも)本人や保護者からご相談が届きます。「自分は○○だけれど、どうしたら就職できるか」「子どもの時は理解してくれる人がいてうまくいったのに、大人になったら誰もわかってくれない。世の中が悪い」「うちの子は●●と診断されたが、天才でもあると言われた。どこで教育を受けられるか」「すぐキレる」「いじめられている」「行ける高校がない」「不登校になった」「引きこもっている」「大学までは進学できたが卒業できない」「問題行動を取る」等々。全国津々浦々の教育者からも多々「うちのクラスに○○の子がいるが、どうやって指導してあげたらいいのか」「不登校を減らした」「いじめがひどい」「学力向上したい」「学校が荒れている」等いただきます。

可能な限り対応しながら、私にはいつも同じ疑問が浮かぶのです。

発達障害という概念は広まり、法律もでき、教育も変わり、おまけに発達障害ビジネスもこれだけ盛んになっているけれど、その実、今度は「発達障害」からしか子どものことを見ておらず、将来の自立と社会参加のために真に必要なスキルはしつけ・指導できていないのではないか、と。

このDMMコミュニティ―サロンでは、「発達的な課題」を切り口に、個々の子どもの教育的ニーズを踏まえ、将来自立し社会参加できるようになるため必要なことについて、多角的にお話したいと思っています。そもそも発達障害をどう捉えればいいのか、偏りの有無にかかわらず人が自立し社会参加するにはどういうスキルがいるのか、そのために家庭でできることやすべきことは何か、家庭や学校での指導方法のこと、親子関係のこと、友達関係のことなどを、時には皆様のご質問に答えたり、インタラクティブに話しあったりしたいと思います。

先行きが不透明な時代だからこそ、全ての子どもが将来、自由に幸せに生きていけるよう、一緒に考えましょう。



最初の三ヶ月で学ぶこと

講座は毎週1回、による動画講義で行っていきます(会員の方はいつでも何度でも見ることができます)


1 発達障害って聞くけどどういう障害? 

2 発達障害は治るの? 治らないの? そもそも障害って? ICFモデル

3 発達障害はどう考えたらいい? 「発達に課題がある」と考える くっきり分けられない

4 Q&A

5 うちの子のここが気になる! 言葉が遅いこだわりが強い (自閉的)

6 うちの子のここが気になる! ハイハイする前に走った! (多動的)

7 うちの子のここが気になる! 字に興味を示さない しりとりができない (LD的)

8 Q&A

9 小学校に上がる前にしておきたいこと  生活自立① 早寝早起き ごはん 

10 小学校に上がる前にしておきたいこと 生活自立② 決まり事を守る

11 小学校に上がる前にしておきたいこと 生活自立③ 体を使おう

12 Q&A

13 小学校にあがるまえにしておきたいこと 生活自立④ 言葉を使う インプット

14 小学校にあがるまえにしておきたいこと 生活自立⑤ 言葉を使う アウトプット

15 小学校にあがるまえにしておきたいこと 生活自立⑥ 言葉を使う 言葉遊び 音韻操作

16 Q&A


その他、この講座で触れていく「発達障害」のいろいろなこと                              

*テーマ例①:いろいろな発達障害~“困っている子供”を放置していいのかいけないのか~

・行動上の問題 状態像の説明

・社会性の問題 状態像の説明

・読み書きの問題 状態像の説明

                                                                 *テーマ例②:“障害とは何か”“自立とは何か”ということをしっかり把握しましょう

・障害ってなんだ 医学モデルとICFモデルの違い

・自立ってなんだ 自立できるのか

・自立のために必要なこと

                                                                 *テーマ例③:「うちの子、発達障害かも」と思う親御さんの子育て論

・指導のコツ

・学校とのやりとり

・双方

・いじめない力いじめられない力

品川先生からのメッセージ動画






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品川裕香

品川裕香

〇2000年

㈱扶桑社 退社 教育ジャーナリストとして独立

〇2006年

第一次安倍内閣教育再生会議委員

北海道大学大学院教育学研究院付属子ども発達臨床研究センター学外研究員 (現在に至る)

〇2007年

安倍内閣教育再生会議委員

〇2009年

京都市教育委員会 支援の必要な子どもプロジェクトチーム専門委員 (現在に至る)

〇2010年

文部科学省中央教育審議会 特別支援教育の在り方に関する特別委員会委員 (~2012年)

〇2012年

東京都発達障害教育推進会議専門委員 (~2014年)

〇2015年

文部科学省 中央教育審議会企画特別部会委員(現在に至る)

文部科学省 中央教育審議会特別支援教育部会委員(現在に至る)

文部科学省 フリースクール等に関する検討会議委員(現在に至る)

文部科学省 学校図書館の整備充実に関する調査協力者会議委員(現在に至る)



【品川裕香】主な著作

〇『怠けてなんかない!』シリーズ(岩崎書店)

*怠けてなんかない! ディスレクシア~読む書く記憶するのが困難なLDの子どもたち 」

(同社2003/10/29)


*「怠けてなんかない!  セカンドシーズンあきらめない―読む・書く・記憶するのが苦手なLDの人たちの学び方」

(同社2010/4/2)


*「怠けてなんかない ゼロシーズン―読む・書く・記憶するのが苦手になるのを少しでも防ぐために」

(同社2011/1/18)


*「なまけてなんかない! ディスレクシアの男の子のはなし」

(同社 2017/4/8)


*「怠けてなんかない! サードシーズン 読む書く記憶するのが苦手な子どもたちが英語を学ぶとき」

(同社 2020/1/29)


*「心からのごめんなさいへ −一人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦−」


* 「いじめない力、いじめられない力 60の“脱いじめ"トレーニング付」

(岩崎書店 2014/7/16)


*「気になる子がぐんぐん伸びる授業: LD、ADHD、アスペルガー症候群」

(小学館 2006/6/20)


*「気になる子がわくわく育つ授業: LD・ADHD・アスペルガー症候群」

(小学館 2009/1/19)


他、多数

















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