中川編④ 秀政の不慮の死

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中川編④ 秀政の不慮の死

秀吉の命により朝鮮に出兵した中川秀政でしたが、その朝鮮で予想外のことが起きます。それは、戦闘中ではない時に家臣の反対を押し切って秀政が鷹狩りに出かけ、敵のゲリラに殺されてしまうという事件です。当時、大名や武将が戦闘以外の時に殺されることはご法度(はっと)とされていました。では、なぜ秀政はわざわざ危険を冒してまで狩りに出かけたのでしょうか。事の真実は不明ですが、厳寒の朝鮮には食料がなかったことから、秀政がキリスト教的な考えに基づいて飢えた家臣を救うため、自ら狩りに出かけて食料を確保したかったのではないかという仮説はあります。しかし、いずれにせよ敵兵が多く潜んでいる中をわざわざ危険を冒してまで狩りに出かけたわけですから、それが決して遊びではなかったことは確かでしょう。

 厳寒の中、狩りに出かけた中川秀政想像図

 家臣団が嘆き悲しむ間もなく、秀政の死は秀吉の耳に入り逆鱗(げきりん)に触れます。その結果、中川家は父清秀の生前の功績に免じてなんとか断絶は免れ、弟の秀成が家督を継ぐことが許されましたが、石高はそれまでの半分とする半知相続で、6万6千石と大幅に減額されます。本来、秀吉は秀政の活躍次第では、三木に加えてもう一国を与えるつもりもあったほど期待をしていたようです。したがって、秀政が順調に武将として実績を積めば、播州三木13万石に加えて25~30万石の大大名になっていたかもしれません。それが突然にこのような不慮の死を遂げたことで秀吉の期待を裏切ったため、怒りは頂点に達したのです。秀吉は中川家の石高を半減するだけでは収まらず、弟の秀成に3つの候補地の内、好きなところに家臣を一人残らず連れて直ちに三木を出て行けという厳しい命令を出しました。この事件を機に秀吉と中川家の良好な関係は水泡(すいほう)に帰すこととなったのでした。

 

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